『日本人のための音声学レッスン』44ページの Comparison 3-5(/ɑ/ と /ɑː/)の音声を付属CDで聞いて、「どこか変だ」と感じた人はいないだろうか。
この Comparison の目的は、日本の英語辞書ではほぼ例外なく、bomb などの語には /ɑ/、balm などの語には /ɑː/ を使い、区別して表記しているが、実際には長さの区別などなく、同じ発音であるということを示すことだった。 但し、男性の方は、/ɑ/ の後に /l/ を入れているため、この Comparison の目的にはそぐわない。このことは、次ページの1行目(この Comparison の末尾)に※で注記を付けた(ここでは psalm に言及するのを忘れてしまっているが)。
問題は、女性の方である。表記し分けられているものを直接対比できるのは最初の3対、bomb vs balm, com vs calm, bother vs father だけだが、これらの母音は果たして同じだろうか? 長さに違いがないのは分かるだろう。しかし、耳の鋭い人なら、音質に差が出ているのに気づくはずだ。
音声材料付きの教科書は、原稿が完成してからそれに合わせて録音するのが普通だ。ところが、吹き込み者が音声学的技能を持ち合わせているということはほとんどないから、意図したとおりに発音してくれない場合が少なくなく、音声学の教科書であっても、多かれ少なかれ、書いてあることと付属なり別売りなりの音声材料の間には食い違いがある。原稿は、英米の音声学の本を主たる情報源として作成されるのが常だが、実際には、それに合わない発音をする人も多いことがその原因だろう。殊に、文アクセントやイントネーションの部分が、発話意図との関係において食い違いが現れやすいが、分節音で現れる場合もある。
僕はこの本を書くときに、そういう食い違いは音声を記述する本として問題があるし、耳の良い読者を混乱させるだけだから無くさなければならないと思った。そのために、録音を先に行って、それに合わせて原稿を書くという方法をとった。もちろん、録音に使う材料の選定には、既存の文献を参考にせざるを得ない。よって、予想しない結果が現れて、思い描いていた記述を変更したものもある。例えば、128ページの Exercise 11-5 で男性と女性の文アクセントの位置が違っているのを分けて表記しているのは、そういった処理の一端だ。
さて、Comparison 3-5 に話を戻すと、女性は、balm, calm, psalm に、[ɒ] の音質を持つ母音を用いていた。これは録音時にすぐ気づいたことだ。36ページの表3-1 で言えば、8の /ɔ/ に相当すると考えられる。しかし、46ページの Exercise 3-11 と Comparison 3-7 で説明しているように、この女性は音素 /ɔ/ を持たず、/ɑ/ に一括してしまっているのである。そして、録音時に、/ɔ/ の発音の仕方を教えてみても、どうしてもこの音の発音ができなかった。/ɑ/ と /ɔ/ の区別がなく、/ɑ/ に一括してしまう発音は、大陸の西半分と、東半分の(北部と南部の間の)中部で広く聞かれるので、ここでは敢えて区別を強いることはせず、男性のように区別する人も、この女性のように区別をしない人もいるということの証拠としてそのまま表に出した。ところがその、/ɔ/ の発音ができなかった同じ女性が、balm, calm, psalm では [ɒ] の発音をしているというわけだ。
palm, calm, psalm といった単語は、John Wells, Accents of English (Cambridge University Press, 1982) で、 “standard lexical sets” (=異なる方言間で同じ振る舞いをする母音を持つ語群) の palm に属しているとされている。これはごく単純化して言えば、一般アメリカ発音(GA)でもイギリスの容認発音(RP)でも /ɑ/ を持つとされる語群だ。僕の本では90ページ表6-1の7の下段に相当する。この palm は、その起源に基づいて更に下位区分され、同書144ページに、
- (64a) calm, balm, psalm, alms, father, bra, ma, pa, mamma, pappa, aha, ah, hah, ha, blah, hurrah
- (64b) baht, Bach, façade, Kahn, spa, Yokohama, piano, sonata (他)
- (64′) baa, Koran, Pakistan, Colorado, Nevada, lava, almond, drama, pajama, panorama, soprano (他)
といったリストが載っている。(64a) は本来英語だったもの、(64b) は最近の外来語、(64′) はこの語群に所属させてあるが、一般アメリカ発音では /ɑ/ と /æ/ の間で揺れがある(言い方を変えれば、語群 palm と語群 bath =僕の本の表6-1では3の下段= の間で所属が揺れている)ものである。
ここで困ることの1つめは、僕が問題にしている balm, calm, psalm は、この女性が /ɑ/ を使っている father と同じ (64a) に所属しているということだ。しかしこの女性は、balm, calm, psalm のように -alm(-) の綴りを持つ語を、father のような語とは音声的に異なる母音で発音している。つまり、Wells の分類は、この女性の発音を記述するのに十分でないのである。
ここで僕は、学界で一般に認められている分類を破棄して新たな分類を設けるかどうかという問題に直面したというわけだ。一般アメリカ発音で [ɒ] = /ɔ/、イギリスの容認発音で /ɑ/ を持つ語群は Wells では定義されていない。
しかしここで2つめのより深刻な問題が生ずる。上で書いたように、この女性は音素 /ɔ/ を持たず、/ɑ/ に一括している。caught, dawn などの語では [ɒ] = /ɔ/ を発音させようとしてもできないのである。できないはずの母音を balm, calm, psalm で発音しているということだ。/m/ の前での /ɑ/ の異音か?と考えようとしても、bomb, com では /ɑ/ が現れ、違う音質を持っているのだからこの解決法は採れない。意識すると発音できない音が、-lm の前でだけ発音できるとは! 袋小路に入ってしまった。
執筆時にここまで考えたわけではないが、結局、音質の微妙な違いには目をつぶって、これらは「同じ」なのだ、と強弁したまま本にしてしまったのである。書いてあることと付属する音声に食い違いがないことを目指した僕としては忸怩たる思いがある。
この録音は、2004年夏にアメリカ・カンザス州ローレンスで、カンザス大学教授の James Hartman 氏(Jim と呼ばせてもらう)の全面的な協力を得て行ったものである。今年(2005年)夏にローレンスを再訪したときに Jim にこの件について尋ねてみた。Jim の答えは「きっと /l/ を発音しようとしているのだろう」というものだった。実際には /l/ は入っていないが、それを意識したためにこういう発音になったのだろうということだ。これは、同じように -al- の綴りを持ち、母音は [ɒ] = /ɔ/ で /l/ が発音されない walk, talk, chalk のような語が歴史的にたどった変化を想起させる。Jim 自身は com = calm で発音すると言い、また彼が編者の一人として次の17版を準備中の Englsh Pronouncing Dictionary (Cambridge University Press) のコラム原稿の中に「アメリカの若者は calm のような語で /l/ を発音する傾向がある」と書いているので、これはこの非常に限られた語群において進行中の変化の中間段階の現れなのだろうか。つまり、この女性の発音は、/ɑ/ から /ɑl/ への変化の中途の、地位が決して確立することのない音なのだろうか。そしてまた、音素分析の限界を示す一つの例なのだろうか? 答えは見つかっていない。
なお、この現象は決してこの女性の個人言語 (idiolect) の問題ではない。例えば竹林滋・斎藤弘子『改訂新版 英語音声学入門』(大修館書店、1998年)の別売りテープも、よく聞くと同じ現象が観察される。つまり同書33ページの Exercise 8 に挙がっている語のうち、balm, palm, psalm は [ɒ] の母音で発音されている。しかし同書では本文中にはっきり「同じ発音となる」(32ページ)と書いてあり、また同書で言う /ɑ/ と /ɑː/ (後者が balm, calm, psalm などに相当)とを直接対比した録音がないため、この問題は直接には表面化していない。
しかし、僕の本の女性吹き込み者と違い、この吹き込み者には /ɑ/ と /ɔ/ の区別があるため、本来であればこれらの語は palm ではなく、Wells にはない「一般アメリカ発音で [ɒ] = /ɔ/ 、イギリスの容認発音で /ɑ/ を持つ語群」を設けてそこに所属させたいところである(この場合、この語群にこそ palm の名を付けて、元々の palm は別の語、例えば baht などで代表させることになる)。学界の定説や、辞書の発音表記に反する説明を避けたということかも知れない。説明文中では bomb=balm, palm=pom という対を示しながら、音声材料にこれを含めないのは、問題を表面化させないためか、という勘繰りも可能だ。もっとも、そういうことには頓着せず、原稿には定説を書いてあまり細かいことを考えずに録音し、そのまま用いた、ということもあり得るが。(同書の著者とは直接の知り合いだが、確認したわけではないので念のため。)
コメントを残す