大学に入る時点では、私は言語研究者(自分を“言語学者”と呼ぶのには抵抗がある)になる気はさらさらなかった。アメリカ地域研究がしたかった。もっと卑近にいえば、アメリカのことが知りたかった。 中学2年の夏休み、私はラボ教育センターの国際交流プログラムでアメリカ・カンザス州にホームステイした。どこまでも平らに広がる大地と空、気だるさを覚えるほどの、のんびりした時間の流れ…。それ以来、私はアメリカの虜になった。毎日のように、アメリカで買ってきた道路地図を眺めた。
しかし、大学に入ってしばらくして、私は、自分がアメリカ地域研究をやりたいと思っていたのはお題目に過ぎなかったことに気づいた。アメリカのことを知りたいのは確かだ、でも、研究は別だ。そもそも準備不足だったのだ。高校まで、力を入れて勉強したのは英語だけだったのだから。「社会的」なことを扱う方が高級だ、といった頭でっかちな考えがあっただけだった。
そんなことを考えていた頃、出張で上京してきた父から「1年やるからアメリカに留学しに行ったらどうだ」と持ちかけられた。恐らく、父にも私が迷走している様子が分かったのだろう。そこで私は考えた。語学留学では仕方がない、何か内容のあることを勉強しなければ。自分は一体、何をやるのがいいのだろう。
私は英語の発音にはこだわりがあった。ホームステイで聞いたあの音を自分も身につけたい。でも、耳で聞いたものを再現しようとしても、どうやったらいいのかよく分からない、とずっと思い続けていたのだ。ちょうどその頃受けた音声学の授業は、そうした謎を次々と解いてくれるものだった。また、私はどちらかというと英語は理詰めで読み解こうとする方だった。
そうか!自分は、アメリカが好きなのは確かだが、研究対象として好きなのはむしろコトバだったんだ。それならアメリカでは言語学をやろう。そう思い定め、大学4年の夏、私はアメリカへ旅立った。
大修館書店刊行の月刊『言語』のメルマガ【げんごろう】第12号(2004年2月13日配信)のリレー・エッセイ「私が言語学者になったワケ」その3より転載。「800字程度」という指定だったので、言語研究者になろうと決意するまでの前段階を書いた。現在は、字数制限はもっと緩められているようだ。
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