名古屋大学の大名力さん(『英語の文字・綴り・発音のしくみ』の著者)から Oxford English Dictionary (OED) の発音表記の中の強勢の扱いについて質問をいただきました。
OED の強勢の扱いは Routledge の発音辞典と同じだと考えていいと思いますが,Routledge の発音辞典では,2音節語の複合語 pigpen の発音を BR ˈpɪgpɛn,AM ˈpɪgˌpɛn とし,アメリカ英語では第2強勢を付け,イギリス英語では付けないことに関して,次のように説明しています (p. xxi)。
As a general rule the standard IPA stress-marking system is employed in this volume, for both primary stress (ˈ) and secondary stress (ˌ). Marks precede the stressed syllable. Absence of a mark indicates weak or tertiary stress.
BR transcription simply conform to this usage. AM, however, has a heavier stressing pattern than BR, with disyllabic compounds for example exhibiting both primary and secondary stress when BR characteristically exhibits only primary and weak (or tertiary) stress. Thus AM may receive two stress marks when BR exhibits only one:
これをどのように解釈したらいいのかという質問でした。
ここで引かれているRoutledgeの発音辞典とは、Clive Upton & William A. Kretzschmar, Jr. (eds.) Routledge Dictionary of Pronunciation for Current English (2017) のことです。これは同じ編者による The Oxford Dictionary of Pronunciation for Current English (2001) の第2版に相当するものです。質問の中で引用されている説明を和訳しておきます。
本書では原則として、IPAの標準的な強勢表示体系を採用し、第1強勢(ˈ)と第2強勢(ˌ)を表記する。記号は強勢を受ける音節の前に来る。記号がない場合は弱強勢ないし第3強勢を表す。
イギリス音の表記は単にこの用法に従ったものである。しかし、アメリカ音はイギリス音よりも重い強勢パターンを持っており、たとえば2音節からなる複合語は第1強勢と第2強勢を両方持つのに対し、イギリス音では第1強勢と弱強勢(または第3強勢)のみを持つ。したがって、アメリカ音では強勢の記号が2つあるのに対してイギリス音では1つしかないという場合がある。
つまり、BR ˈpɪgpɛn,AM ˈpɪgˌpɛn という表記はイギリス音とアメリカ音の実際の発音の違いを表している、と言っているのです。残念なことですが、これは大変な誤謬です。
OED=Routledge の発音には、イギリス音とアメリカ音でそれぞれ独自の表記体系が採用されています。このやり方には、英米で実質的に同じ発音である場合にも、発音表記が異なっていることがあるという大きな問題があります。pigpen の強勢の表記の違いは、その典型例です。
OED=Routledge におけるイギリス音の強勢表記の方式は、第2強勢は第1強勢の前にしか来ない、第3強勢は第1強勢の後に来るが表記しない、というものです。これに対して、アメリカ音の方はイギリス音で言う第3強勢も第2強勢に分類し、それも表記する、という方式になっています。それが、BR ˈpɪgpɛn,AM ˈpɪgˌpɛn という別々の表記になっている理由です。しかしこれは、イギリスとアメリカにおける強勢についての伝統的な解釈の違いを反映したものに過ぎないのです。実際の発音に違いはありません。
何故このような解釈の違いが生じたのかと言えば、英語の強勢体系は、単語の中だけではなく連続発話における現れ方を考慮すると4〜6段階ほどに分かれるのに、辞書では普通の人が理解可能な範囲である第1・第2・弱の3段階に還元せざるを得ないからです(OED=Routledge の解説では第3強勢に言及していますが、表記していないので捨象されているのと同じことです)。6段階を3段階に還元するには、複数の段階を1つにまとめる必要があり、そのまとめ方に違いができてしまうのです。このあたりについては、いつか別記事でもう少し詳しく解説したいと思います。
他の発音辞典、つまりLPD(Longman Pronunciation Dictionary)やEPD(Cambridge English Pronouncing Dictionary)では、強勢に関して OED=Routledge のイギリス音の規約に相当するものをイギリス音・アメリカ音の両方に使っています。解釈の違いが同じ辞書の中での表記の食い違いとして現れるのを避けるために、イギリス式に揃えた形です。その当然の帰結として、pigpen の発音表記は、英米の区別をせずに ˈpɪgpen となっています。
OED=Routledgeでは、残念ながら、この「すり合わせ」が行われませんでした。そして非常にまずいことに、これは単なる怠慢の結果ではなさそうです。上記の解説を読む限り、これを書いた人の強勢体系の英米差、あるいは英語の強勢体系そのものについての認識がおかしいということが露呈してしまっています。これは、これらの辞書の発音表記全体の信頼性を損なうものです。辞書業界全体が縮小傾向にある中で、Oxford は語彙記述を責任感を持って続けていくという気概が感じられるだけに、由々しき問題だと思います。
OED=Routledgeで、事実上同じ発音であるはずのものに別々の表記が与えられてしまっているのは強勢にとどまりません。分節音もそうなのです。例として、eat, law のOEDでの発音表記は次のようになっています。
eat Brit. /iːt/, U.S. /it/
law Brit /lɔː/, U.S. /lɔ/, /lɑ/
これは簡単に言えば、イギリス音では母音の音質の違いだけでなく長さも表記するのに対して、アメリカ音では音質のみ区別して表記していることによります。eat は表記の違いにもかかわらず、イギリス音でもアメリカ音でも発音は同じです。law の場合も長音符号の有無は実際の発音の違いではなく、一方でイギリスの /lɔː/ とアメリカの /lɔ/ は長音符号を除けば同じ記号ですが実は音質が大きく違います。違った規約の表記を同じ辞書の中で並べて示しているために、異同関係がごちゃごちゃになってしまっている訳です。
余談ですが、僕の恩師の竹林滋先生も、その昔『岩波英和大辞典』(1970年)で発音表記を担当したときに、一人でやったにもかかわらず英米音の表記をこれと同じような別体系にしてしまったそうです。「あれは誤りだった」とゼミで仰っていたのを覚えています。異なる変種の発音を併記する場合、一つの変種の中での表記の一貫性だけでなく、別々の変種の間の異同関係も考慮した表記体系にしなければならないのです。
なお、Oxford の一般向け辞書(Oxford Dictionary of English およびアメリカ版 New Oxford American Dictionary に相当)による LEXICO Powered by Oxford でもOED と同じ方式で発音が表記されていますが、これはイギリス(+世界)版とアメリカ版が別々の辞書として、発音表記も併記されていないので、個別の見出し語の発音を読む時には問題ありません。発音解説が同じページにあるのは危ういですし、アメリカ版の方のみ、IPAの他に綴り替え方式でも発音が提示されているのは無駄だなとは思いますが。
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