William Labov, Sharon Ash and Charles Boberg, Atlas of North American English (Mouton) が、6年あまりの遅れを経て、ようやく発売になった。マルチメディアCD-ROM付属である。偶然だが、僕は Albuquerqueで開催された Linguistic Society of America/American Dialect Society Annual Meeting (2006年1月5日~8日)に参加し、書籍展示のところでこの本の出版を祝ってワインが振る舞われたのにも立ち会った。ADSのAnnual luncheonでは、偶然にも Labov氏と席が隣り合わせになり、親しく話す機会も得ることができた。
僕はこの大会では主にAmerican Dialect Societyのセッションを聞いていたのだが、発表の半分ほどが、このAtlasの知見を前提にしたものになっていた。(Atlasはしばしば、著者3人の頭文字を採って、LABと呼ばれていた。)
このLABを見ながら、また、発表の内容や発表者自身の発音を聞きながら、今やアメリカ発音の捉え方を変えるべき時が来たのではないか、と感じた。アメリカ発音は想像以上に変わっている。もはや、竹林・斎藤(1998)『改訂新版 英語音声学入門』(大修館書店)などがおこなっているように「中西部型(≒一般米語(General American > GA))」「北東部型」「南部型」に分けて済む話ではないぞ、ということだ。(僕自身の『日本人のための英語音声学レッスン』では、そのような区分を示すことを敢えて避けた。)
LABによると、北米の方言は、まず後母音 /oʊ, aʊ/(の出だし)が前よりになっているか否かで2つに分かれる。前寄りになっている([ɵʊ, æʊ] あたりか?)のが Midland (中部)と South(南部)、そうでないのが North, West, Canada である。
後者の North/West/Canada から、West と Canada が cot=caught ということで分離される。更に Canada は Canadian shift (/ɛ/ が下がって [æ] に近くなり、/æ/ がそれに押されて下って [a] のようになり、/ɑ/ も押されて後より+円唇+高くなって /ɔ/ と合流)によって分離される。カナダ発音として有名なCanadian Raisingすなわち無声子音の前で /aɪ, aʊ/ が狭い [əɪ, əʊ] になる現象は、分類基準とはなっていない。
North の中では、Northern Cities Shift(/æ/ が上がって [ɛ] に近くなり、/ɛ/ はそれに押されて中舌の [ʌ] に近づき、/ʌ/ は後ろに押されて更に下がり、/ɔ/ はそれに押されて下がり、/ɑ/ はそこから逃げて前よりの [a] になり…という体系の回転) が強く起きている Inland North(五大湖沿岸地方)、弱く起きている Western New England、母音の後のrが発音されない Providence, New York City, Eastern New England に分かれる。
Providence/NYC/ENE の違いは、NYC ではLABの言う “/æ/~/æh/ split”(/æ/ が [ɪə] のような発音になる単語(badなど)とそうでないものに分かれること)を起こしている点、ENE では cot=caught という点である。Midland と South の別は、cot=caught があるかどうかによる。Southでは、/ɔ/ が [ɒɔ] のように二重母音化して発音される(Dictionary of American Regional English の発音解説参照)ため、cotとcaughtの区別は維持されている。
South は Southern Shift (詳細は、現在のところCD-ROMの音声が聞けていないのではっきりとは分からないが、/aɪ/ の後半部が消えて [ɑː] のようになったことに端を発する連鎖変化らしい)で特徴づけられているが、その Shift が特に進んだ地域として、Inland South(アパラチア地域)と Texas South がある。逆に、Charleston, SC と Florida は、Southern Shift に参加してないため別扱いになっている。なお、Southでは全域で母音の後のrが発音されないためか、これは分類基準としては登場しない。
Midland の中では、St Louis が Northern Cities Shift に参加し cot≠caught であるという点で区別されている。Mid-Atlantic(Philadelphiaなど)は、NYCと同様の “/æ/~/æh/ split” が起こっているという点で分かれる。また cot=caught である Western Pennsylvaniaという独立した区分があるが更にその中で、Pittsburgh は /aʊ/ の第二要素が消える点で分かれている。これらを除いた “Midland proper”(ここでは cot=caught と cot≠caught が混在している) が“デフォルトの”アメリカ発音とされている。従来のGAに近い概念だろうか。
ただし、人口比で見ると、この Midland proper は Inland North の半分弱、West と比べても半分弱、South と比べても半分弱。存在感としては取るに足らない発音が“代表”になってしまっているということになる。しかし、このMidland properは、上記で見たように /oʊ, aʊ/(の出だし)が前よりになっている点、cot=caughtの発音が混在しているという点で、いわゆる「教科書的」アメリカ発音とは異なっている。
「教科書的」アメリカ発音は、ここよりはむしろ、North の中で何の特徴もない地域、すなわち North Central にあるようだ。但しこれは North Dakota, Minnesota北部、Michigan Upper Peninsula といった、更に人口が希薄な地域になる。やはりGAは幻だというべきなのだろう。
なお、LAB には本+CD-ROMのほかにWebサイト(未完)もある。http://linguistics.online.uni-marburg.de/free/mouton/free/courses/atlas_of_nae/atlas_main.html ここに載っている地図を本と見比べると、ENE の中で Boston 周辺が区別されているのが見いだされる。本に載っている様々な地図の中でその対応物を探すと、どうやら母音の後のrの発音がこの地域では見られるということのようだ。これは僕自身の体験とも一致する。母音の後でrを発音しないアメリカ人を求めてBostonに行ったものの、聞こえてくるのはrを発音する声ばかりだった。留学を終えたばかりの、1988年のことだ。
これはBostonがNew Englandの中心都市であるが故の、日本で言う「支店経済」的な理由によるのかも知れない。Atlanta も南部にありながら「北部的」要素があると言われる(発音も、Southern Shift への関与度が低い)が、同様のことではないかと思われる(但し、Atlanta は独立した地域として認定されてはいない)。
ついでながら、アメリカのほぼ全土で merry=Mary=marry であることも書いておかなければならない。日本の辞書では(イギリス発音との並記の都合があるのは分かるが) /ˈmeri, ˈme(ə)ri, ˈmæri/ などと表記し分けているが、アメリカ発音に関する限り、これを区別する必要は全くないと言っていい。区別するのは、NYC と Mid-Atlantic ぐらいのものだからだ。
我々外国人学習者からすると、母音の後のrを発音するか否かは方言区分の上で大きな要素のように感じられるが、このLABプロジェクトのデータによる主成分分析によるとこの要素は方言区分上の関与度が低いということのようだ。そのため、rを発音するかしないかは Northの下位区分を設定するための基準として用いられるだけ。Midlandでは全土で発音され、Southでは全土で発音されないために分類基準として言及されない。
学習者の立場としては、音声的に見て大きなこの区別を無視することはできないだろう。しかし、この地図の結果も真摯に受け止める必要があると思う。従来の「中西部型」「北東部型」「南部型」は、母音の後のrの有無を最大のよりどころにした区分であり、LABの区分との食い違いが大きすぎるからだ。
LABの区分に外国人学習者の立場を加えてアレンジすると、次のような区分が適切であるように思われる。それは、北東部(ENE)、北部、中部(Midland)、南部、西部、カナダの6つに分けることだ。“代表”はLABに従いMidlandとするが、これだと存在感の小ささが気になるかも知れない。それを考慮した場合、中部と西部を併合して「中・西部」とするやり方があるかも知れない。両者の大きな違いは、Midlandでcot=caughtとcot≠caughtが混在し、西部ではcot=caughtのみであるという違いだけだからだ(北米発音を最初に2分する、後母音 /oʊ, aʊ/(の出だし)が前よりになっているという特徴が Midland に存在するという点もあるが、音声的にはさほど大きなものではない)。しかしその場合、人口上優位にある西部でcot=caughtである上に、Midland内でも区別する人間が混在しているに過ぎないということなので、ここにアメリカ発音を代表させるということになると、代表的な発音はcot=caughtということになる。
これはEnglish Pronouncing DictionaryでJim Hartmanが行っている表記と符合する。Jim Hartmanは、Dictionary of American Regional Englishのために1960年代に現地調査で録音された資料と、その後の独自の調査に基づいてこのような判断を下したわけだが、LABのための資料は、1990年代に全国に電話をかけて行った調査(Telsur)による。このように、2つの大きく異なる方法で収集されたデータで同じような結果が出ているということは、この見方の信頼性が高いことを示すものであり、我々は、そのような発音を積極的に学んでいいのだということを意味しているのではないだろうか。
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