英語の音声に関する雑記帳

英語の発音について徒然と


なぜ生徒は発音を間違うか?

 本稿のタイトルになっている「なぜ生徒は発音を間違うか?」の質問に答えるのは簡単だ。それは「発音の仕方を教わっていないから」。もちろん、中学校で何も教えていないわけではない。しかし、私自身の経験では、それは断片的なものでしかなかった。記憶が定かではないが、母音では /æ/ のみ、子音では /f, v, θ, ð, m, n, r/ しか教室内では教わらなかったと思う。扱う項目に多少の違いはあるだろうが、今日の教室でも状況はさほど変わっていないのではないだろうか。

鉄は熱いうちに打て

 他にも数多くある英語の音を学校で教わることができなかった私は、仕方なく辞書の発音解説を読み、教科書の付属テープやラジオ講座で聞こえてくる音と、発音解説に従って自分で出してみた音とを聞き比べて修正し、英語の発音の全貌を探ろうと努力した。これは私が、中2の夏休みにアメリカに1ヶ月ホームステイに出かけることが決まっていたため、「発音(に限らず英語)をちゃんとやっておかないと大変なことになる」という危機感を持っていたことによる。

 普通の生徒は、ここまでの危機感(=動機付け)を持って英語を学んでいるわけではない。断片的に教わった発音を、それさえも使うことが恥ずかしくて、日本語式に変形してしまう。何年も続けた結果、「英語らしくない発音」は習慣化されてしまい、気付いたときには修正はきわめて困難になるというのが大部分の生徒のたどる道だろう。

 大学の「英語音声学」の講義には、多少なりとも発音を良くしたいと思う学生が集まってくるのだが、個々の学生の発音の癖は様々で、しかも6年以上にわたって習慣化されたものを修正するためには八方手を尽くさなければならない。相手が少人数であっても、全てを修正することは難しい。

 そうして何とか英語らしい発音を引き出すことができても、学生がそれを本当に身につけて使い続けられる保証はない(と言うより可能性は低い)。何しろ、それまでに覚えた数千語の単語の発音はある意味では全部一から覚え直しになるわけだから、それだけでも気の遠くなるような作業だろう。やはり中学校の初歩できちんと発音を教え、単語を覚えるときには発音も一緒に覚える習慣をつけさせなければならない。「鉄は熱いうちに打て」は殊に発音について大いに当てはまる。

 私は大学院修士課程に在学中、某中高一貫私立男子校で講師のアルバイトをしたことがある。相手は中学1年生と2年生。そこでは英語は週6時間あり、そのうちの4時間を専任の教諭が検定教科書を使って2年間で中学の3年分を教え、残りの2時間は講師が問題演習をするというカリキュラムだった。ある年の4月、担当の教諭から『はじめての英語発音』(セイドー外国語研究所 2000)の当時の版を渡され「これで1年生に1ヶ月発音を教えてください」との指示を受けた。週2時間で1ヶ月だから、8回である。

 私自身、あの時どのように50人×2クラスの生徒に発音を教えたのか、残念ながら全く覚えていない。しかし、英語の音を漏らさずに一通り教えたことだけは確かだ。そしてその結果、ほぼ全員が英語らしい発音ができるようになったことも覚えている。(この点、「発音は小学校から始めないと間に合わない」という俗説を、私は自信を持って否定できる。)また、そのために何か特に苦労をしたという記憶がない。後に私が経験することになった、大学生に英語の発音を教える時の苦心惨憺とは雲泥の差だ。

 発音のためだけに8時間も授業を割くことは、私立の中高一貫カリキュラムだからこそ可能なことだったのかも知れない。しかし、英語の音は子音が24個、母音は数え方にもよるが牧野(2005)によれば28個である。一見多く見えるが、中1の1学期の毎回の授業でわずかな時間を割いて2個ずつ教えれば、週3時間の授業であっても2ヶ月程度で全部の音を練習できる。1時間に4個なら1ヶ月で終わる。発音を全部教えるのは公立校でも非現実的ではないのではないだろうか。

 全ての音が同じように日本語話者にとって難しいわけではない。断片的な指導は、特に難しいと考えられる音のみを採り上げた結果だろう。しかし、大切なのは「全貌を見せる」ことであると私は考える。なぜなら、次で見るように、私が出会う発音の誤りの中には、発音をつまみ食い的に教わった結果だと考えられるものが少なくないからだ。無論、私自身が牧野(2005)のはしがきで書いている、「無意識に使っている日本語の発音の癖が原因」となっている誤りも多いのだが、全貌を見せればそのようなものも同時に相当程度退治できる。中学1年生に発音を教えるのは大学生や社会人に発音を教えるよりも遙かに簡単で効果があるのだから機を逸してはならないのだ。

“つまみ食い”による誤り

 断片的指導の弊害の一つは、たまたま教わった音から生徒が「過度の一般化」を犯してしまうことだ。例えば、/æ/ のみを教わった結果、やはり「ア」に近い母音 /ʌ/ を持つcutをcatと同じに発音してしまうような例はよく聞かれる。/æ/ に関して言えば、恐らくはcat→/キャット/ からの類推でbadを /ビャッド/ と発音する日本人に、留学先のアメリカで会ったこともある。

 教える内容が一部に過ぎないため、英語には存在しない音を作り出してしまう場合もある。たとえば、/ɚː/ を教わった生徒が、全ての母音を“巻き舌”で発音しようとするような例だ。また、つづり字 o に対応する /ɑ/ の指導が欠落した結果、これを日本語のローマ字読みで英語には存在しない「オ」と発音してしまう(hot→ [hot] )のは非常に広範囲に聞かれる誤りだ。

 子音にも断片的指導の弊害が見られる。/r/ のみ教えて /l/ を教えないためか、母音の前の /l/ までも /r/ に置き換えてしまったり、/l/ を自分の日本語のラ行子音で済ませてしまったりする人が多い(ラ行子音として [l] を使う人もいるが、他の音を使う人も多いので、そういう人は教わらないと /l/ は発音できない)。語末・子音の前の /l/ (feel, milkなどのいわゆる「暗いL」)は、音声教材では「ウ」や「オ」のように聞こえているはずなのに、それを明示的に教えないために「ル」と発音してしまう人も多い。

 /iː, ɪ, i/ の前でも /s/ が現れるという点のみを教えた結果、sheをseeと同じに発音してしまうのも過度の一般化の例としてよく聞かれる。

 ほかにも例はあるが、読者に断片的指導の弊害を認識して頂くにはこれで十分だろう。

“日本語の癖”による誤り

 /b/ と /v/ の区別は全ての中学校で教えられていると思うが、ここで /v/ だけを扱うと落とし穴にはまる。なぜなら日本語の /b/ は母音間(「ロバ」など)では完全に唇が閉じない摩擦音になりがちだからだ。この音は英語の /b/ よりもむしろ /v/ に近い。英語の /b/ は常に両唇が完全に閉じ、(語末以外で)強く破裂することを教えないと、正しい区別はできない。同様のケースとして、日本語の /d/ が時に母音間で [ð] になってしまうことがある。私自身「おめでとう」とPCに録音・分析してみて初めて気がついた。/g/ にも似た問題があるので、/b, d, g/ は全て語末以外で「強く破裂せよ」と教えなければならない。

 /s/ と /θ/ の区別では、日本語の発音を知らないと足下をすくわれる。最近の日本語では、サ行の子音に [s, ʃ] ではなく [θ] を使う人が増えてきているからだ。私自身もよく使う。読者も何か「です・ます調」で話したものを録音・再生してみると、自分が [θ] を使っていることに気づくかもしれない。そうでなくても日本語の /s/ は英語よりも摩擦が鈍いので、/θ/ を教えると同時に /s/ の摩擦を鋭くさせる指導が必要となる。

 Yes-No疑問文で上昇調のイントネーションを使うということを教えない先生はいないだろう。しかし、「どのように上げるか」が問題だ。日本語にも上昇調のイントネーションはあるが、現れるのは文末の1音節だけ。一方、英語では“最も重要な単語”から文末までずっと上がり続ける。Do you want to be a doctor in the future? であれば、doctorから後はずっと上げ続けなければならない。これに日本語の癖を持ち込むと、future の-tureのみの上昇になってしまう。この文で「未来」を強調する必要などないのに、それを敢えて強調したおかしな質問に聞こえてしまうだろう。

 日本語の癖を持ち込むことによる誤りをいくつか見たが、このようなものは、細かく見ればいくらでも見つかる。本稿のスペースではとても書ききれないが、牧野(2005)ではできるだけ克明にそれを記述したつもりだ。

全貌を教えよう

 では、中1の最初から1~2ヶ月かけて少しずつ全貌を教える教材(作成の元となるもの)は何が良いか。また手前味噌で申し訳ないが、私自身が執筆した『グランドセンチュリー英和辞典』第2版(木原 2004)の「発音解説」が、音声CDもあり短くまとまっているため使いやすいだろう。

 もしもつづり字と発音の関係(フォニックス)も同時に教えるなら竹林・斎藤 (2005) があるが、CD1枚分というボリュームと、使われている単語の難易度から見て、むしろ高校生以上の発音再入門に適しているかも知れない。高校1年生あたりなら、まだ自己流を3年間続けてきただけだから、悪い癖から脱却するのは大学生・社会人よりも遙かに容易なはずである。

 全貌を教えるのだから、もちろん教員の側はそれ以上に全貌を把握し、多少の日本語なまりが残っても、見本になる発音ができるようになっておく必要がある。現在は英語音声学を履修しなくても英語の教職免許が取れてしまうので、学生時代に学ぶ機会のなかった人は自分で勉強する必要がある。その際、いきなり英語の音に取り組むよりも、まずは日本語音声学を学んで自分や他人の日本語の発音を観察できるようになってからの方が効率が良いのは、上記の日本語の癖による誤りの例を見ていただければ納得されるだろう。

 ところで、私の8時間の指導により英語らしい発音を手に入れた生徒たちはその後どうなったか。実は落とし穴があった。発音を教える段階が終わり、問題集を使った問題演習に授業が移ると(このような授業編成の可否はここでは置く)、生徒たちは次々に、せっかく覚えた英語らしい発音を捨て始めたのである。最初はいちいち注意していた私も、こだわってばかりいては授業が進まないため、そのうちにあきらめてしまった。これは要するに、生徒たちにとって「英語の発音が良い」ということで何か目に見えて得になるようなことがないということだろう。あるいは、「一度できるようになったのだから、あとはその気になればいつでもできる」と思い手を抜いたのかも知れない。

 その後の彼らの発音を追跡できたわけではないが、元の木阿弥になっているであろうことは想像に難くない。発音を教えることはできるとしても、それを継続・定着させるためにどのような動機付けを提供する必要があるのかという課題があることを痛感させられる経験であった。

参考文献
木原研三(監修)(2004)『グランドセンチュリー英和辞典』第2版(東京:三省堂)
セイドー外国語研究所(2000)『はじめての英語発音』(東京:セイドー外国語研究所)
竹林滋・斎藤弘子(2005)『ルミナス英和辞典第2版つづり字と発音解説』(東京:研究社)
牧野武彦(2005)『日本人のための英語音声学レッスン』(東京:大修館書店)

『英語教育』第54巻第10号(2005年12月号)特集「発音・音声指導に自信を持とう!」に書いた記事より許可を得て転載。



“なぜ生徒は発音を間違うか?”. への2件のフィードバック

  1. はじめまして。ここに書かれている/b, d, g/での破裂音と摩擦音の区別について、スペイン語の場合での議論があります。別の掲示板で議論をしていますので、よろしかったらご覧下さい。http://cgi.www5d.biglobe.ne.jp/~ktakuya/wforum1/wforum.cgi?mode=allread&no=891&page=0ぎっちょん

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  2. 牧野先生、掲示板でいつもお世話になっています。

    日本の英語の発音指導を根本的に変えることに人生を賭けている、ビクトリア大学の社会人大学院生です。

    英語の音韻体系の「全貌を見せる」、全く同感です。というよりも、当然のことだと思います。今すぐに中学1年生の教科書を変えるべきです。誰に訴えれば、教科書を変えてもらえるのでしょうか。

    掲示板でも話題になりましたが、/ɔ(ː)/の( )の意味は、「伸ばしても伸ばさなくてもいい」という意味だと勘違いしている人が、音声学を専門にしている人にさえいる、ということも、全貌を習っていないことにつきるでしょう。全貌を知っていれば、米英語に/ɔː/と/ɔ/の対立がない(というか/ɔ/がない)ことも簡単にわかりますし、そもそもcot-caughtが同じ発音の地域では、/ɔː/さえ無いわけですから。

    >「発音は小学校から始めないと間に合わない」という俗説を、私は自信を持って否定できる。

    私も同じように考えていたので、自分の考えが間違っていなくてよかったです。というより、準備もできていないまま時期だけを早めたところで、結果は何も変わらないでしょう。

    小学校3年生からという案が出ているようですが、発音を意識するなら、3年生では既に母語の音韻体系が完全に固まった後ですし、またフォニックスを導入するなら、同じ時期に国語の時間でローマ字を教えるので、混乱する恐れがあります。ローマ字と英語のつづりを完全に分けて考えるためにも、ローマ字との時期をずらすべきです。

    焦ってやみくもに時期を早めるのではなく、こういうことを考慮して、まず教員の指導、教科書の改善といった、準備をしっかり整えるべきだと、何としても政府に訴え、3年生からの英語教育を止めたいのですが、どこに訴えればいいのでしょうか。

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