やや古いものだが、前々から気になっているブログ記事があった。自分の名前や、著書があればその書名をインターネットで検索してみることは誰でもやっていることだと思うが、その過程で見つけた記事である。部分的に引用すると意味が誤って伝わる恐れがあるので、関連部分をまとめて引用する。浅野博氏が書いたものである。
http://app.blog.livedoor.jp/cpiblog01676/tb.cgi/50634300
> 日本語の発音指導のことを知りたくて、斉藤純男
> 『日本語音声学入門[改訂版]』(三省堂、2006)を
> 読んでみた。日本人にはなじみのない音として、
> 「放出音」「入破音」などが解説されていて、音声教育とは
> あまり関係がないと思った。教師には音声学も素養としては
> 必要だが、大切なのはどう指導するかである。
> 英語教育でも「発音」を教えることと、「音声学」を教えることを
> 勘違いすることがある。牧野武彦『日本人のための
> 英語音声学レッスン』(大修館書店、2005)なども
> りっぱな「音声学」の解説書だ。一方、英語教師の中には、
> 「不定冠詞の a は、母音の前ではなぜ an になるのか」という
> 生徒の問いにも答えられず、an apple を「アン・アプル」と発音
> する者がいる。国語教師でも、留学生がよくする「『五十音図』
> とは何か」「経済は“ケイザイ”か“ケーザイ”か」という問いにうまく
> 回答できるかあやしい。そういう教師に必要なのは、専門用語を
> 多用した「音声学」ではなく、「日本人のための発音レッスン」では
> ないかと思う。
まず、些細なことかも知れないが太字下線部分について。「音声学」と書名に入っている本のことを、何故わざわざ「りっぱな『音声学』の解説書だ」と強調されなければならないのだろう。まるで音声学の解説書であることが、何か悪いことでもあるかのようなトーンである。浅野氏は「音声学」よりも発音指導法の解説や「発音レッスン」が必要だと言っているので、僕の本が音声学であることに不満なのは分かる。しかし、僕は何も『日本人のための英語発音レッスン』という本を出したわけではないのだ。何故このようなことを書かれなければならないのか、この記事を見つけたときからずっと考えてきたが、今もって分からない。僕にそのようなタイトルの本を書けという期待の表れなのだろうか?
では本題の、音声学と発音指導の関係についての話に移ろう。僕が『日本人のための英語音声学レッスン』を書いた動機の一つであり実は最大のものは、英語教員、特に中学の英語教員には英語音声学についてこれくらいのレベルの体系的知識を持っていて欲しいというものだった。現実的には、現役英語教員に「読め」と言うことはできないので、矛先を英語専攻の大学生にしたのだが。
僕自身教員養成課程を受講した経験を持つが、その時感じたことは、英語の教員養成に関して、教科に関する知識の養成があまりにも手薄だということだった。その後、学校に存在する様々な問題に対応することへの要請から「教職に関する科目」は強化され、僕の頃のように安易に教職課程を受講することは難しくなった。しかし、「教科に関する科目」の方は、一種の“自由化”が行われ、以前よりも制限が緩くなった。その結果、普通に考えれば必要であると考えられる科目を履修せずに済んでしまうという弊害が生まれていると思う。もちろん科目を履修したからといってその内容を完璧に把握しているとは限らないのだが、総体的に見れば、教職免許を取る学生の英語という教科に関する知識も手薄になっているだろうというのが僕の予測である。
英語教員は単なる英語の使用者ではない。英語の専門家である。したがって、英語の運用能力が高いだけでは十分ではない。加えて教え方が上手いとしても十分ではない。英語について、専門的な知識を持っていることが必要なのだ。そしてこれは教え方の上手さにかなりの程度影響を与える。知識が無くては、上手い教え方で教える内容が空っぽになってしまい、意味がないのだから。具体的には、英文法と英語音声学の体系的な把握をしている必要があると僕は思う。
急いで付け加えるが、このことは、英語教員が、英文法と英語音声学をそのまま生徒に教えるべきであるという意味ではない。教える内容に、これらの体系的知識の裏打ちが必要だと言っているのだ。このブログは英語の発音に関するものなので話を英語音声学に絞ると、浅野氏の求める発音指導法の解説や「発音レッスン」は、生徒の必要性に応じて個別の教員が編み出すのが本筋であるし、英語音声学の体系的知識を持っていればそれが十分に可能であると考える。
ケチケチせずに指導法の解説書も書けばいいと言われるだろうが、当たり前のことながら生徒は多様である。すべての生徒に効く特効薬的な解説を書くことは現実的に不可能である。書こうとしても、最大公約数的なことしか書けないであろう。そして、これは重大なことなのだが、その「最大公約数」がどこにあるのか、僕は把握していない。個別の問題の全体像も知らない。もっとはっきり書けば、日本の英語学習者の発音に関する実地調査が今までに行われたことがないので(僕の調査不足かも知れないので、もしもそのようなものがあるなら教えて頂きたい)、日本人の英語発音に関して、客観的なことは何も言えない状態なのである。
もちろん、経験則的なことなら言える。日本語の発音と英語の発音の間の体系的差異から予測できることもある。LとRの区別に苦労するということは周知の事実だし、母音の区別に多くの問題があることも確かだ。プロソディにも問題がある。しかし問題はそのような断片的なものではないのであって、全体像や細部は調べてみなければ分からない。そういうものを調べてみて把握して初めて、僕は責任持って、可能な限り多くの生徒(学習者)の問題を解決できるような解説書を書けるというものだ。経験則にだけ頼るのはあまりにも無責任だと思うから。
それまでは(いや、そうなった後でも!)、英語音声学を体系的に把握したそれぞれの英語教員が、個別の問題に対する対処法を自ら編み出す方が効率的だ。何なら、そうして編み出された指導法のナレッジベースを作ることができれば、大変な調査の末に僕がわざわざ解説書を書かなくても良くなるのかも知れない。
はっきり言ってしまえば、中学1年生に対する発音指導は容易である。教員自身の発音が良く、発音に関する体系的知識を持っていればという条件は付くが、中1ならまだまだ耳はいいので、簡素な説明だけで、あとは正しい音を与えれば、正しい発音をいとも簡単に出してくれる。何も小学校から英語を始めなくても、こうした条件さえ揃えば発音に関しては中学からで十分である。(逆に、こういう条件が揃わなければ、小学校から始めても結果は同じだろう。小学校英語推進派の最大の拠り所が「発音」にあるのだとしたら、彼らはとんでもない誤解をしていることになる。)
小5で英語が正式教科になった場合の「発音」について | 英語の音声に関する雑記帳 への返信 コメントをキャンセル