英語の音声に関する雑記帳

英語の発音について徒然と


発音表記の名称とその色々

Twitterで「発音記号」がトレンドに登場したのをきっかけに、いくつか連続ツイートをしました。ここでは、その一部をまとめなおして記事にしようと思います。

ネットでときどき見かける英語の発音表記についての誤謬に、beat/bitの母音をiː/iとするものをJones式、iː/ɪとするものをIPAというものがあります。これはおかしな命名です。実際には両方ともInternational Phonetic Alphabetを用いているのであり、記号の使い方が違うだけです。

前者の方式はIPAを用いたJones式と呼ぶべきものです。後者には定着した呼び名はありませんが、使われ始めた頃には、これを始めた人の名を採ってGimson(ギムスン)式と呼ばれました。

アメリカ発音のbirdの母音をɚːで表すかəːrで表すかについても、前者をIPA、後者をJones式と呼ぶ人がいます。これもおかしな名称で、前者はもちろん、後者も(僕はあまり感心しないものの)立派にIPAです。Jonesが記述したのは標準的なイギリス発音なので、この音を表記する必要はなく、よってこの音の表記に「Jones式」は存在し得ないのです。

ɚ(および日本では使われていないɝ)は、IPAにまだこの記号がなかった時代にKenyonが使い始めたものです。Kenyonは他の点でも独特で、bait/betをeɪ/eではなくe/ɛで区別しました。アメリカの標準的な方言の中にはbaitの母音が二重母音にならないものもあるので、このような表記もあり得るのです。

現在(悪い意味で)影響力が大きい表記にOEDのものがあります。一般辞書ODEと、そのネット版のlexico.comでも同じ表記が使われており、多くの人が触れるのはむしろこちらでしょう。大きな問題の1つが、前回の記事でも触れましたが、イギリス音とアメリカ音を全く別の体系で表記していることです。beat/bitがイギリス版でiː/ɪに対しアメリカ版ではi/ɪとされているのですが、区別の実体に英米の違いはなく、混乱の元です。

また、OEDのイギリス発音の表記体系(主導したのは恐らく方言学者のClive Upton)は、英語の発音表記のde facto standard を無用に崩して独自性を主張していることも厄介です。batをæでなくa、betをeでなくɛ、bearをeəでなくɛː、birdをɜːでなくəː、biteをaɪでなくʌɪとしています。

bearをɛːとするのは現行の発音の趨勢からみて妥当だと思われるのですが、他の変更は不要だったと思います。このサイトの発音を利用するときは、表面上の発音表記に惑わされないように注意してください。(本来、発音表記はそういうものであってはならないものだと思います。)



“発音表記の名称とその色々”. への5件のフィードバック

  1. 本記事に関連して,非常に細かいことなのですが,1つ質問させてください.

    本記事中のbirdの母音のGimson式の表示ではrhotic rが立体(ローマン体)ではなく斜体(イタリック体)になっています.これは辞書によくある表記,つまり,英音,米音を1つにまとめて表記した辞書の表し方,「英音ではrが省略で,米音ではrは省略しない」ということではなく,米音についての記述とあるので,rがイタリック体であるのは「米音でもrhotic rでない場合,つまり,英音と同音になる場合がある」という意味なのでしょうか.

    hooked schwaを用いて米音を表記する場合,hooked schwaを斜体にしないので,多少方言の違いがあるにせよ,General Americanでは常にrhotic rで発音されるものだと理解していました.ただ,Jones式で米音のみを表記する,日本の中学校の教科書ではrが斜体になっています.これは単なる勘違いなのか,米音でもrの省略が起こるのか,判断できずにおります.教科書が英米併記の辞書の表記をそのまま写してしまったのでしょうか.

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    1. もちろん厳密にはrを生かした əːr で論じるべきですが、これは世の中で語られている内容なので、rを米音では生かして英音では削除ということを考えずに əː_r_ で論じられているということを含んで書きました。

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  2. 牧野先生,お返事ありがとうございます.

    結局,rをイタリック体になさったのは,birdの母音の米音についてではなく,一般論であった,ということでしょうか.birdの母音をGimson式で2通り,1つめはhooked schwaを用いて,2つめはhooked schwaなしで,お書きになられていて,どちらもbirdの米音を表したものだと思いましたが….私が疑問に思っているのは,まさにこの点で,hooked schwaを使わないでbirdの母音を表した2つめの表記は,米音と英音の併記になっていて,この表記がほとんど至るところにあるので,それがデフォルトになっているような錯覚を覚えますが,米音だけを表記するならrはローマン体です.

    私が一番ひっかかっているのは,大学受験や高校受験用の英単語集が,「米音を示した」と謳い,notやforeignなどは米音しか示していないのに,birdやcarになると,rhotic rがイタリック体になっている点です.これが,入試用の単語集だけに見られる現象ならば,単に辞書の表記を丸写ししたと考えられるのですが,中学生用の教科書の発音表記も,多くの単語集と同様に,ほとんどの母音は米音だけを示す一方で,rhotic rはイタリック体で米音と英音を併記した形になっているので,中学生の教科書も辞書を丸写ししたのでないならば,何か理由があったのでしょうか.この理由をご存じでしたら,ご教示いただきたいと思って,コメントしたのですが….

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    1. 牧野武彦 (MAKINO Takehiko) のアバター
      牧野武彦 (MAKINO Takehiko)

      イタリックのrが教科書などで使われているのは、単にそのまま引き写したからなのだろうと思います。普通の人は ask を /æsk | ɑːsk/ のように別々に表記してあるものなら正しく米音と英音に峻別しているのでしょうが(実際にはそれさえ怪しい人も多そうです)、イタリック体や括弧を使って米音と英音を折りたたんだ表記が何を表しているのかを認識できている人はとても少ないと思います。(安藤貞雄でさえ、/ɔ(ː)/ が米音 /ɔː/、英音 /ɔ/ という約束事だと認識せずに「長くても短くても構わない音」と本に書いていたりするのです。)
      これに関係した話を次の記事に書いたことがあります。
      https://phoneticsofenglish.wordpress.com/2015/11/17/%e3%80%8c%e8%8b%b1%e8%aa%9e%e6%95%99%e5%b8%ab%e3%81%ae%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ae%e7%99%ba%e9%9f%b3%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%a5%e3%82%a2%e3%83%83%e3%83%97%e8%ac%9b%e5%ba%a7%e3%80%8d/
      連載にするつもりが1回目だけで終わってしまった恥ずかしい記事ですが、よかったら読んでみてください。

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  3. 牧野先生,お返事ありがとうございます.参考記事のリンクもありがとうございます.おかげで大変スッキリしました(参考記事の直後の『グランドセンチュリー英和辞典』についての記事も興味深く拝見し,理解が深まりました).

    してみると,市販の入試用単語集のほとんどが,rhotic rをイタリック体で印刷する「なんちゃって米音仕様」になっているのはともかくとして,大学の先生や高校の先生が多数監修している中学,高校の教科書の発音表記まで「なんちゃって米音仕様」になっているのは,学校の英語の先生の中でも,発音は二の次,三の次という意識の方が多い,まして,教科書会社の編集で発音に注意している方もほとんどいない,ということなのでしょうか.さすがに教科書で r がイタリック体になっているからには,もしかすると何か理由があるではないか(あるとすれば「米音も方言ではrhotic rが省略される」くらいしか思いつかなったのですが),とも考えていたのですが,教科書までも辞書の表記を無批判に踏襲してしまったのですね.

    辞書はスペースの都合もあるので,米音英音の併記は仕方のない部分もあるのでしょうが,それでも辞書には併記についてちゃんと説明がある(当たり前ですが)のに,教科書や単語集などにはそれがないために,誤解を招く仕様になっています.高校英語の教科書を出版している会社の単語集においても,前書きの部分の発音記号についての但し書きに「イタリック体の r は省略可能」とだけ書いてあって「どういう条件下で省略可能であるか」の記述が欠落しているので,この単語集を使う受験生はまず間違いなく「省略してもしなくてもよい」あるいは「いつでも省略可能」と誤解してしまうでしょうし,別の出版社の単語集では「いつでも省略可能」と誤解してしまったようで,notやforeignなどの母音は米音を示しながら,car,dinnerなどの語末のrhotic rは一切印刷されていません.

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